2012.11.06 Tuesday

オルタナティヴ バイロンベイ 4





旅の終盤、バイロン唯一のクラブ、Liquidで共に踊ったグレイムの家へ。
グレイムはトモキが今年のEXODUS(毎年1月にアボリジニの聖地、Bald Rockで開催されるフェスティヴァル)で知り合った、ビジネスにも長けたコマーシャルヒッピー。
山をひとつ所有していて、大自然に囲まれた山荘で妻子と暮らしている。





フットワークが軽く、寡黙だが、とても親切な人で、「空き部屋があるから好きに使って良いよ。」と、
結局タダで3泊もお世話になり、心が洗われる環境の中、五感と自然を溶け逢わせて、作品創りに没入した。






グレイムの奥さん、ルーシーはNATURAL DOCTOR。
2人はRAVEで出逢って、恋愛を育み結婚した、最高に微笑ましい夫婦。
「彼女があまりにも美しい踊りをしていたから口説き落とした。」と、グレイムは言っていた。








息抜きに、トモキと2人でクモの巣と馬フンを避けながら、4時間グラスカット(草むしり)の仕事をした。
その報酬で、ルーシーに1時間、全身アロママッサージをしてもらった。
ルーシーの手は、まるでCOSMIC HAND。
僕は大きな慈愛に包み込まれながら、温かな羊水に護られた胎児のように、深い安らぎで満たされた。

飛び続けるには、時に羽のメンテナンスも必要だ。
窓から覗いた芝生の上では、孔雀が羽を広げていた。





帰国前日の日曜日は、月に1度開催される巨大バザー、BYRON MARKETがちょうどやっていたのでラッキーだった。
澄んだ青空の下、色彩豊かな会場内を歩きながら、この町は本当にレインボーカラーと笑顔が似合う町だと想った。








夕暮れになると、会場と隣接した森の奥で、ヒッピーの集団が楽器を持ち寄り、ジャンベのリズムで踊りはじめた。
そこにディジュリドゥの演奏と手拍子が加わると、どこからともなくチャンダンの匂いが風に乗ってやって来た。
そこにはひとつのサークルが出来ていた。





観光客もその演奏力の高さで、傍観者になるのではなく、輪になって踊っている。
ピンクのワンピースの上に、赤いベロア素材のベストを着た老婆は、長い白髪をリズミカルに揺らし、サークルの中心で誰よりも生き生きと、その華奢な体を音に委ねていた。
沢山のしゃぼん玉が飛散しては消えるサークルの中、40年続く「オルタナティヴ スピリット」のルーツを垣間見た気がした。





情報過多でVISIONが定まり難い現代において、シンプルなライフスタイルを見直すことは必要だ。
利便性を求めるあまり、つい疎かにしてしまう過程の中にあるコミュニケートは、デジタルが蔓延してから希薄の途を辿っている。

だが本来の人間関係において、大切な根っこの部分はアナログで、常にLIVE。
臨場感で胸が一杯になり、隣人を煩わしく感じる時もあるだろう。
そんな時はチルアウトして、花鳥風月を愛でる素朴さに酔いたい。
剥き出しの本能をぶつけ合い、喜怒哀楽を繰り返して、人は人と、深く強く、繋がって行く。





目まぐるしく時代が移り変わっても、ただ純粋に、シンプルに、本質のみを捉えながら、こよなく平和と音楽を愛するだけのヒッピーカルチャーは、僕にとって永久に不滅で、不変のARTだ。
ヒッピーからの気づきや学びは、誰にでも本来、当たり前に出来る、素朴な営みに他ならないだろう。

自然の流れ。導き。巡り。
忘れかけていた感覚は、旅によって甦る。
踊る影は鮮やかなくらい、どこまでも長く色濃く伸びていた。








それからトモキの車に揺られ、ユータと3人でサンセットを拝みに、バイロンのシンボルとも言うべき灯台へ。
真冬のサーファーが流麗なラインを描いている。
「今日は久し振りに波が良い!」とトモキが言う。
太陽が海へダイブした後、とてつもなくやさしい乳白色の空が、パノラマに広がった。
ルーシーにマッサージしてもらった体は、しなやかな羽が生えたように軽い。
大きく深呼吸をすると、心地好い空気が循環した。





時には、スロウライフを意識して、リラックスしたまま、
自然の流れを肌で感じて、その流れに楽しく身を委ねてみよう。
そうすればおのずと、光が射す方へと、導かれて行くだろう。





真冬のオーストラリア。
約半月、心身共に癒やされ充実した、鮮烈な旅だった。
次は2012年11月14日、皆既日食を拝みに、またこの国に訪れたい。
バイロンベイの自然と由縁に、感謝とリスペクトを込めて。


ENJOY♪ SIMPLE PLEASURES…





2012.11.05 Monday

オルタナティヴ バイロンベイ 3





ARTSをチェックアウト後、トモキの車を運転し、フェスで仲良くなった絵描きのユータと3人でニンビンへ。
車中ではFYAH WALKの「Sunrise Red」が、心地好いレゲエのリズムを刻んでいる。
バイロンから車でフリーウェイを南下すること約2時間。








ニンビンは1973年にオーストラリアのWOOD STOCK、AQUARIUS FESTIVALが開催されたのを機に、世界中のヒッピーが移住して開拓をした、オルタナティヴなライフスタイルを体感出来る、人口約2000人の小さな町。

現在は毎年5月にMARDI GRASS FESTIVALと言う、音楽祭とヘンプの収穫祭を町全体で興業していて、今年は約8万人の観光客が集まったとのこと。
目印のニンビンロックが見えたら、町はもうすぐそこだ。
山に囲まれ、滝の流れる風景から、メインストリートは栃木県の日光のような印象を受けた。






バイロンから25ドルで日帰りバスツアーも運行していて、観光客で結構賑わっていた。
陽射しが強く射し込むメインストリートには、井戸端会議をするようなスペースや椅子が、あちらこちらに点在し、ここでもストリートミュージシャンが陽気に楽器を弾いている。
スロウに行き交う通行人は、耳を傾けたり、肩でリズムをとったり実に楽しそう。

共鳴し逢うセッションは、平和な空気を生み出す。
ハーモニーはひとりでは奏でられない。
弾む音楽とシンクロしながら、瞬く間に消えるリアルな今を、もっと謳歌しようと強く想った。





この時季のニンビンは、夕方6時には太陽が山肌に沈み、夜がやって来る。
そろそろ腹も空き出した。
次の目的地は、この旅のメインディッシュとなった、RAINBOW TEMPLEだ。

夕暮れと共に町を後にし、ARTSでアボリジニからもらった手書きの地図を頼りに向かう。
Rose Bank方面へ曲がりくねった凸凹の山道をひた走ること1時間。
暗闇の中、ようやく右手にレインボーカラーの小さな矢印を発見。

無事到着するもエントランスがない。
奥を見渡すと明かりが灯るウェアハウスがあり、そこから陽気な笑い声が聴こえる。
足を踏み入れるとちょうど夕飯時で、サンタクロースみたいなボスのガイが、
「日本人が訪ねて来るのは久し振りだ。」と、僕らも一緒にディナーに招いてくれた。
ご馳走になったペンネのオーガニック野菜炒めは、僕ら好みのスパイスの効いた、やさしい味だった。






ディナーが終わる頃には、ローカルのオージーや、様々な国の旅人達に何だかすっかり気に入られ、その後ガイが案内してくれた4階建てのRAINBOW TEMPLE内のドミトリーに10ドルでステイさせてもらうことに。
通常だと1泊20ドルだが、ノーマネーと言えば一気に半額になる。
ここのコミュニティは、ガイとその仲間達が35年前に開拓した自給自足ヴィレッジ。
静謐な安堵感と、自由な空気に包まれていて、解放感がこの上ない。








仏陀やインドの神々、ダライラマ、アボリジナルアートなどを祀った、オルタナティヴな寺内は、まるで五感が研ぎ澄まされるようで、今まで訪れたどの寺院の中でも別格なパワースポットだった。

チルアウトスペースの暖炉の前で、各々が楽器を持ち寄り、セッションが奏でられる。
平和の音階を紡ぐ、鮮やかなハーモニー。
僕はギターが弾けないので、久し振りに得意技の鳩笛を披露した。
ここにいると、童話やファンタジーの世界に迷い込んだ感覚に陥る。
盛り上がって来たところで年長のマイケルが、「今夜は特別に山小屋でパーティだ!」と、車に乗り込む。

参加希望者15名が1時間かけて森の中、ヘッドライトの明かりを頼りに歩いた。
RAINBOW TEMPLEのアイドル犬ピクシーも、尻尾をフリフリ着いて来る。
ようやく到着した年季の入った山小屋で、生粋のヒッピーのLIVEを体感出来たのは、この旅で一番感動した。

小さくても、今この瞬間を楽しもうとする気力は、人生において大きな原動力へと変わる。
夜明け前の帰り道は、ブランケットを羽織らなくても、心身共にぽかぽかしていた。





「CAVEでバッツが育ってるから見に行く?」
翌日僕は、スウェーデンのヒッピー、マーカスに声をかけられて目を覚ました。
歯ブラシをくわえながら洞窟へ行くと、コウモリが仲良く2羽眠っていた。





マーカスと彼女のシェイは、著書をとても気に入ってくれて、漢字に興味津々だったので、【夢望美】むぼうび(夢を望むことは美しい)という造語を教えてあげた。
RAINBOW TEMPLEには、生粋のヒッピーの旅人が、世界中から集まって来ていた。
そのほとんどが僕と同じくトランスミュージック好きで、オルタナティヴなRAVE PARTYは今一番、南米のビーチがホットだと言っていた。






ヒッピーの定義は人それぞれだ。
僕の個人的な意見として、ヒッピーとは一言で表現するならば、生き方そのものだ。
そのライフスタイルには無駄がなく、シンプルで、自由で、LOVE & PEACEなスピリットに満ち溢れていて、さり気なく、やさしく、自然と共存し、ARTを愛し、人生をHAPPYに楽しむ人達。

そしてそれらをシェアするマインドを兼ね備えた人達。
リンクする人間関係の中、由縁を大切に育み逢うことは、人生において大きな意味を持つ。
その時代ごとにヒッピーカルチャーも、日本における僕らの文明も、スタイルは変わり行くが、根っこの部分に宿る、生粋の奔放な魂はやはりリスペクト。
それは今も変わらない。

10年前、サンフランシスコではじめてRAVEを体験し、空の下、裸足で踊る歓びを知ったのも、ヒッピーが声をかけてくれた、導きと恩恵のおかげだ。
滞在中、そんな気持ちを忘れず、RAINBOW TEMPLEの屋根裏で、沢山の詩を生んだ。





2012.11.02 Friday

オルタナティヴ バイロンベイ 2





旅の序盤は瞬く間に過ぎた。
ブラジリアンのシェアハウスでウェルカムパーティを開いてもらったり、トモキが今住み込みで働き始めた、MAIN BEACH BACKPACKERSで異文化交流を楽しんだり、バイロンで1年に1度開催されるダンスミュージックフェスティヴァルに参加したり…。

★SPLENDOUR IN THE GRASS FESTIVALのリポートはこちら
http://beatculture.music.jp.msn.com/archive/feature/100105_youikuzawa/default.htm





フェスの翌日、この旅の目的地のひとつでもあるゲストハウス、ARTS FACTORYへ。
世界中の多種多様なアーティストが集い、創作活動に専念していると噂の空間。

プライベートルームに4泊ステイ。ドミトリーで1泊25ドル。プライベートで75ドル。
初期anoyoクルーのニッセンがここの裏ボスだ。

“anoyo”とは、現在活動停止中だが、90年代後半にオーストラリアで産声を上げた、クリエイティヴな野外イヴェント集団。
今まで新島や、佐渡島、岐阜県にある養老天命反転地などで開催をして来た。
僕は1999年にCandle JUNEくんに誘われ、3年間運営のお手伝いをさせてもらった。
著書のカバーデザインを手がけて頂いた山路紳多郎氏も初期anoyoクルーで、今回の旅の出発前に自宅へ遊びに伺った際、ARTS FACTORYの噂を伝えたら、
「それならニッセンを訪ねてみなよ。」と、今回の運びになる。





しばらくしてニッセンに電話を掛けると、ARTS FACTORYの裏にあるスタジオへ招待され、どんな人なんだろう?と久し振りに胸をわくわくさせ、モスグリーンの扉を開けた。

すると白髪混じりで瞳が澄んだオージーの親父が、「新しいビジネスをはじめた。」と、トップの部分がマシュマロになっている美味いマッシュルーム型のチョコレートをいきなりプレゼントしてくれた。
僕もお返しに、持参していた著書をプレゼントし「カバーデザインはSHINTAROさんだよ。」と告げると、大声で「FANTASTIC!AMAZING!」と喜んでくれた。





最近このスタジオでレコーディングをしたと言う、コズミックでミニマルなアンビエントをBGMに、ARTS FACTORYのエピソードを、身振り手振り聴かせてくれた。

ニッセンの両親は音楽と自然を好む、生粋のヒッピーだった。
その仲間達と約30年前に、「皆で自給自足の村を作って、収穫祭や音楽祭を糧にしながら、楽しく生活しよう!」と意気投合し、集団共同生活場であるコミューンを開墾したのが、ここのはじまりだったそうだ。





そして時代の流れと共に、コミューンからゲストハウスと言うスタイルへ。

もともとARTS FACTORYは、ニッセンの父親が、同じ敷地内にあるBUDDHA BARは母親がそれぞれ経営していたが、1年前にNOMADSと言うカンパニーに吸収合併され、経営権を譲渡する形となり、スタイルが変わってしまったとのこと。

今は禁煙スペースが設けられていたり、ブランケットの貸し出しが10ドルのデポジット制だったりと、結構システマティックな要素もある。

確かに管理や清掃がきちんと行き届いているなと滞在して感じた。





バイロンの宿には概ねプールや遊戯場が常設されてあり、どこもきちんと整備されていて、ゴミが全然落ちていない路上の風景からも、調和性や美意識の高さが随所に伺えた。

ARTS FACTORYもひと昔前は、今よりもっと自由気ままにやっていたのだろう。

管理社会において人は、窮屈になるかと思えばそうでもなく、柔軟に適応出来る能力を兼ね備えているわけで、実際のところ慣れや惰性が生じ、そこから辻褄を合わせようとする。

日常生活の中、知らず知らずのうちに麻痺し、塞がってしまっている感覚は、きっと昔はごく当たり前に表現や行動に移せていた、素朴な感覚だったのかもしれない。



 

ARTS FACTORYにいた間、僕は日中ティピの中にあるふかふかのソファーや、湖のほとりにあるブランコや、大きな木に結ばれたハンモックに揺られ、詩を描いた。

トモキは波乗りへ行っては「今日も波がなかった。」と、毎晩部屋に遊びに来て、僕らは1年間の月日を埋めるように語り明かした。

冬だからか夜になると満天の星空が広がり、くっきりとしたラインの流れ星を沢山見た。





ある日ニッセンのスタジオへ遊びに行ったとき、上半身が裸で、サングラスをかけたモーガンフリーマンそっくりのアボリジニに出会った。
話してみると、強面な外見のイメージと全く違ってシャイな人だった。
ARTS FACTORYより更にオルタナティヴな場所を望んだ僕らに、ニンビンの近くの山奥に現存するヒッピーコミューン、RAINBOW TEMPLEがあることを教えてくれた。




行き先を訪ねるとおもむろにサングラスを外し、大きな手で、小さな紙に地図を書いてくれた。素顔を覗くと実に綺麗な瞳をしていた。
人を見かけで判断してはいけないとはまさにこのことだ。
ちなみにアボリジニはあまり風呂に入る習慣がないため、体臭が何とも刺激的だった。






2012.11.01 Thursday

オルタナティヴ バイロンベイ 1





日本で46年ぶりの皆既日食が観測された日、2006年にトルコで開催されたトータルエクリプスフェスティヴァル、Soulclipseの旅以来、実に3年ぶりに海外へ出発した。
ジェットスター航空、ゴールドコースト行き。
今回は、スロウライフとナチュラルスピリットの町、バイロンベイに呼ばれた。

旅に出る理由は人それぞれだ。旅に理由などいらないと口にする人も少なくない。
僕の場合は単に、詩を海外で久し振りに描きたい意欲が募ったから、そしてこのタイミングで、友人にも再会出来る良い機会だと想ったからだ。





オーストラリアの最東端に位置するバイロンベイは、ニューサウスウェールズ州と、クィーンズランド州の境、ゴールドコーストから車で約2時間程南下した場所にあるビーチタウン。70年代前半に多くのヒッピー、サーファー、ミュージシャン、アーティスト達が、他国から訪れて開拓をした、無国籍な雰囲気が漂う、音楽と、ARTと、癒しの聖地。


陽気な人生のARTを彩る


空港から35ドル(約2500円)のバスに揺られ、メインのJONSON STREETに降り立ち、大きく背伸びをすると、皮膚の内側から懐かしい旅の感覚がほんのりと甦って来た。

シーズンは真冬にも関わらず陽射しが強く、日中はTシャツ1枚でOK。
バックパックを背負い、とりあえず海を目指してぷらぷら歩く道すがら、スロウな雰囲気に包まれる。

通りを見渡すと、オーガニック専門店、ベジタリアンフードレストラン、ヨガやメディテーション(瞑想)のヒーリングスクール、マッサージ、HEAD SHOP etc…





1年中温暖な気候と海が近いからか、道行く人は誰もが微笑みを浮かべている。

心にゆとりが存在しているのが分かり、つられて笑顔になる。

バイロンの住人は健康志向がとても高く、8割がベジタリアンなので、この町にはマクドナルドがない。
ついでに信号も全くない。すれ違うお年寄りも元気な人ばかり。
ストリートミュージシャンは、そんな健やかな人達を見守るかのように、朗らかな旋律を奏でていた。




 

町を散策し、海辺で昼寝をした後、友人のトモキとビーチパークで無事合流。
以前、タイのパンガン島やインドのゴア、ヨーロッパなどを共に旅した仲間だ。
1年間ワーキングホリデーでバイロンに滞在していたトモキは、ビザの関係でニュージーランドへ6日間旅行し、今度はツーリストビザで再度入国していた。
あと3ヶ月はまたオーストラリアで生活するという。相変わらずラスタの神様みたいな風貌で、ローカルのオージー訛りのファッキンジョークにも大笑いしていた。

1年ぶりの再会を、大きな笑顔で果たせた瞬間、日本でセカンドエクリプスを拝むプランをキャンセルしてまで来て良かったと想った。






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